中米のマヤ文明とアステカ文明、南米のインカ文明…中南米に栄えた三大文明は、今でも多くの謎と伝説に満ちています。密林にそびえるピラミッドの王朝「ティカル」、湖上に浮かぶ都市「テノチティトラン」、天空の都「マチュピチュ」。この地域は『世界遺産の宝庫』として世界中の人々から注目されています。
およそ2万年前、アジアと陸続きであったアメリカ大陸は、人類進化の最後の段階でようやく足を踏み入れた新しい大地でした。新大陸に渡った最初の移住者たちは、日本人と同じモンゴロイドでしたが、それ以降はアジア、ヨーロッパ、アフリカの旧大陸とは独立して、異なる環境や歴史の過程の中、豊かな多様性を持った文明を発達させました。農耕生活や神々への崇拝、国家の建設、数や暦の体系作りなど、旧大陸との共通点も多く見られる一方、マヤやアステカでは鉄器を持たず、またインカでは文字を持たなかったにもかかわらず、当時の旧大陸に劣らぬ文明を築いています。
本展は、NHKスペシャル「失われた文明 インカ・マヤ」と連動して開催するもので、世界初公開となるマチュピチュの遺物やアンデスのミイラをはじめ、展示品のほとんどが日本で初めて公開されます。また、これらの貴重な品々をとおして、新大陸に生きた人々と文明の全体像を描き出し、人類のつくりだす文明の多様性と普遍性を紹介するとともに、複雑な現代社会を人々が生きることの意味を考えます。
およそ2万年前、アジアと陸続きであったアメリカ大陸は、人類進化の最後の段階でようやく足を踏み入れた新しい大地でした。新大陸に渡った最初の移住者たちは、日本人と同じモンゴロイドでしたが、それ以降はアジア、ヨーロッパ、アフリカの旧大陸とは独立して、異なる環境や歴史の過程の中、豊かな多様性を持った文明を発達させました。農耕生活や神々への崇拝、国家の建設、数や暦の体系作りなど、旧大陸との共通点も多く見られる一方、マヤやアステカでは鉄器を持たず、またインカでは文字を持たなかったにもかかわらず、当時の旧大陸に劣らぬ文明を築いています。
本展は、NHKスペシャル「失われた文明 インカ・マヤ」と連動して開催するもので、世界初公開となるマチュピチュの遺物やアンデスのミイラをはじめ、展示品のほとんどが日本で初めて公開されます。また、これらの貴重な品々をとおして、新大陸に生きた人々と文明の全体像を描き出し、人類のつくりだす文明の多様性と普遍性を紹介するとともに、複雑な現代社会を人々が生きることの意味を考えます。
マヤ文明は中米のユカタン半島を中心に2000年にもわたって栄え続けた文明である。
小さな都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、統一されることはなかった。
マヤの人々は高度な建築技術や暦、複雑で独特の絵文字を持つ一方、鉄器などの金属器や車輪、牛や馬などの家畜を持っていなかった。
なぜ川さえもない密林に高度な文明を育むことができたのか。
マヤの王と彼らが闘った戦争を中心にこの文明を紹介する。
小さな都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、統一されることはなかった。
マヤの人々は高度な建築技術や暦、複雑で独特の絵文字を持つ一方、鉄器などの金属器や車輪、牛や馬などの家畜を持っていなかった。
なぜ川さえもない密林に高度な文明を育むことができたのか。
マヤの王と彼らが闘った戦争を中心にこの文明を紹介する。
アステカは14世紀から16世紀に現在のメキシコ中央部に栄え、首都のテノチティトラン(現在のメキシコシティー)は当時の世界有数の規模を誇る都市であった。
人々は独自の絵文字を持ち、精密な天体観測を基につくられた暦を使用していた。
一方、太陽神をはじめとする様々な神々を信仰し、生きた人間の心臓を神に捧げる生贄(いけにえ)の儀式がさかんに行われた。
人々が信じていたもの、祈りをささげたものは何だったのか。
アステカの神と儀礼を中心にこの文明を紹介する。
人々は独自の絵文字を持ち、精密な天体観測を基につくられた暦を使用していた。
一方、太陽神をはじめとする様々な神々を信仰し、生きた人間の心臓を神に捧げる生贄(いけにえ)の儀式がさかんに行われた。
人々が信じていたもの、祈りをささげたものは何だったのか。
アステカの神と儀礼を中心にこの文明を紹介する。
インカは現在のペルーを中心に興った巨大な帝国で、80の民族をわずか50年で統一した。
首都クスコを起点に、海抜0メートルの灼熱の砂漠から6000メートルの極寒のアンデス山脈まで、「インカ道」と呼ばれる通行路が国中に張り巡らされていた。だがインカの人は文字を持たなかったため、今日に残っている記録は少ない。
生活環境も言葉も異なる多様な人々を一つの国に結びつけたのは何だったのか。インカの人と儀礼を中心にこの文明を紹介する。
首都クスコを起点に、海抜0メートルの灼熱の砂漠から6000メートルの極寒のアンデス山脈まで、「インカ道」と呼ばれる通行路が国中に張り巡らされていた。だがインカの人は文字を持たなかったため、今日に残っている記録は少ない。
生活環境も言葉も異なる多様な人々を一つの国に結びつけたのは何だったのか。インカの人と儀礼を中心にこの文明を紹介する。