この度、産経新聞社と東京藝術大学は2008年4月26日(土)から7月21日(祝・月)まで東京藝術大学大学美術館[東京/上野]において「バウハウス・デッサウ展/BAUHAUS experience, dessau」を開催いたします。 本展はドイツ、デッサウ市にて活動を展開するバウハウス・デッサウ財団所蔵のコレクションから日本初公開となる146点を含む、241点を中心に、国内外から集められた260点におよぶ貴重なプロダクト(製品)と資料によって構成されます。バウハウス・デッサウ財団所蔵のコレクションが、これほどの規模で、ドイツ国外で紹介されるのは、例がなく、世界的にみても本展が初の試みとなります。 これまでもバウハウス展は日本において数多く開催されてきました。しかし、本国ドイツのコレクションを基幹とする展覧会は、1995年のセゾン美術館での展覧会以来、国内では13年ぶりの開催となります。また、2009年にはバウハウス誕生90年を記念して、バウハウス・アルヒーフ(ベルリン)やニューヨーク近代美術館/MOMAでも「バウハウス展(仮)」の開催が予定されており、本展はそれに先駆け、バウハウスとその活動の理念を大きく展観する貴重な機会となります。 |
これまでのバウハウスに関する多くの展覧会が製品をならべて、バウハウスのデザイン面の検証を行ってきました。本展では、デザイン面のみならず、バウハウスの活動理念に、より重きを置いて、現在も世界中に愛好家を持ち、多くのクリエイターたちに影響を与え続けているバウハウスとその理念を再検証しようと試みます。 バウハウスの誕生は偶然や突然の産物ではありません。全三部構成となるバウハウス・デッサウ展の第一部「デッサウ以前/バウハウスとその時代」では、バウハウスと社会との結びつき、どのようにバウハウスは生まれ、どのように製品が誕生したのか。当時の文化背景や政治体制にも影響され、形成されていったバウハウスとその理念について、バウハウス誕生前夜のデザイン運動とともに通史的に紹介します。 ロシア構成主義やデ・ステイルなどの同時代のデザイン運動と比較をすれば、バウハウスの誕生は必然であったことは明らかです。本展には、それら同時代のデザイン運動の製品や資料も出品され、それらの対比によって、バウハウスのルーツをたどります。 第二部では、デッサウ期の活動とバウハウス全期を通して活動の重要な中核を担った「基礎教育と工房」について紹介します。『建築(バウ)を最終造形』と位置づけたバウハウスの活動は、様々な素材や加工技術を学ぶ基礎教育が重要視されていました。この基礎教育で自由な発想と柔軟な創造性を学んだ学生たちが、次に進むのがそれぞれの専門分野の工房です。ここでは主にデッサウ期の(1)基礎教育、(2)工房、(3)バウハウスの写真と芸術、(4)舞台工房の4つに焦点をあてて、カンディンスキーやクレーといった教授陣たちが使った教材、当時の学生たちがつくった製品、また舞台工房の記録写真や一部、映像を交えながら実際にバウハウス内で繰り返し行われていた実験とその精神を展観します。メカニック・バレエ上演の際に舞台上で使用されたオブジェの再現展示のほか、展覧会々場内の壁面には、バウハウスを象徴し、実際のデッサウ校舎内でも生かされている色彩計画が一部反映されます。 バウハウスの最終目標である建築。そのなかにこそ、バウハウスの実験精神と理念が凝縮されているといっても過言ではありません。第三部では、教授陣によって設計されたものの、実際には建てられることのなかった建築プランを模型やパネルで展示します。また、本展の目玉のひとつとして初代校長ヴァルター・グロピウス自らが設計したデッサウ校舎の校長室をリアルスケールで再現。バウハウス理念の空間を実際に体験していただけます。 「校長室にはバウハウスの理念が集中しています。建築的な意味、構造、空間デザイン、壁画工房、テキスタイル、チームワークのなかで作られたものです。まさに『バウハウス、デッサウ、エクスペアリエンス』です。」 ?宗愁丱Ε魯Ε后Ε妊奪汽?財団 館長 オマール・アカバー |
バウハウスは20世紀の文化、建築、デザイン、芸術、新メディアの歴史において特別な役割を占めています。最初の造形大学として、バウハウスはその時代一連の卓越した建築家と芸術家を引き合わせ、教育上革新的な専門教育の場と並び、生産の場であり国際的議論の的になりました。バウハウスほど工業社会の危機的状況のなか、「造形」という手段で近代化の過程を制御できるのか疑問を持った研究所は、ほかにほとんどなかったためです。 1919年にヴァイマールで設立されたバウハウスの親方と学生たちは、芸術と製造の訓練をあらゆる芸術的創造の基礎として手工業へたち戻ることを良しとし、模範的な造形化を通して、対象と空間を来るべき人間社会のために創造するという目的を抱きます。バウハウスの創設者で最初の校長ヴァルター・グロピウス(1883‐1969)のもと、バウハウスは1923年に内部刷新をはかる過程で工業への方向転換を行い、新しい中心思想「芸術と技術、新たな統一」をコンセプトに1923年に開かれた展覧会において、バウハウス活動のすべての多様性を発表しました。「アム・ホルン」の実験住宅で未来の住居をイメージすることができたのもこの展覧会です。 |
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保守派の強い要請で1924年にバウハウスへの財源があからさまに削減されたため、バウハウスは新たな活動の場を探さねばならなくなります。それを機に移転したデッサウでは、財政上の好況もあり、バウハウスは地方自治体の重々しい造形大学となります。ほとんどのマイスターがデッサウへと引っ越し、卒業生たちも准マイスターとして工房の指導を引き受けます。1926年から1932年までデッサウでは芸術と建築の有名作品、並びに影響力の強いデザインが生まれます。また、この時期、バウハウスのさらなる存続をめぐる絶え間ない対立の責任を負って、ヴァルター・グロピウスは校長の職を辞することになります(1928年4月1日)。その後継者となった、スイス人建築家ハンネス・マイヤー(1889‐1954)の活動は「社会の調和ある状態」をめざし、経費節約の大量工業生産路線により幅広い住民階層を対象とした製品が調達可能となるはずでした。しかしここでも彼のもくろみは成功したにもかかわらず、切迫した内政状況のなか1929年にハンネス・マイヤーのマルキシズム的姿勢が町の有力者たちに問題視され、1930年に彼は解雇されます。 その後、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886‐1969)のもと、バウハウスは1930年に補助的役割の芸術および工房部門を伴う一種の建築工科大学となります。ナチスが選挙で勝った後、バウハウスは1932年9月にデッサウも追われ、学校の移ったベルリンで、再出発したわずかな間、バウハウスはなおも存続しつづけますが、1933年にナチスの圧力によりバウハウスは自ら解散をしたのです。 (バウハウス・デッサウ財団 資料より) |
バウハウス・デッサウ展 | |
会 期 | 2008年4月26日(土)~7月21日(祝・月) 月曜休館 (ただし、5月5日(月)、7月21日(月)は開館。5月7日(水)は休館) |
開館時間 | 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで) |
会 場 | 東京藝術大学大学美術館[東京・上野公園] (〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8) |
観 覧 料 | 一般1,400円(1,200円)、高校・大学生800円(700円) ●同時開催「芸大コレクション展」は、当日に限り本展の観覧券にてご覧いただけます。 ※( )内は前売/20名以上の団体料金。 ※中学生以下無料。 ※障害者手帳をお持ちの方(介護者1名を含む)は無料。 |
主 催 | 東京藝術大学、産経新聞社 |
共 催 | バウハウス・デッサウ財団 |
後 援 | ドイツ連邦共和国大使館、日本パウル・クレー協会、サンケイスポーツ、 夕刊フジ、フジサンケイ ビジネスアイ、iza!、SANKEI EXPRESS |
協 賛 | トヨタ自動車、損害保険ジャパン、大日本印刷、中越パルプ工業、帝国インキ製造 |
協 力 | ルフトハンザドイツ航空、ルフトハンザ カーゴ AG、日本通運、Knoll Japan、 株式会社カッシーナ・イクスシー、hhstyle.com、ACTUS、My Space、 富士ゼロックス、東京パブリッシングハウス、ステッドラー日本、ビルケンシュトゥック |
お問い合わせ | ハローダイヤル 03-5777-8600 |